何事もただ一生懸命やっただけでは上達しません、カメラの基本をしっかり覚えて、今までとちょっと見かたを変えるだけで、今まで分からなかった事が分かるようになったり。
今回は、カメラの基礎知識編という事で、絞りとセンサーを理解することで、もっと丁寧に考えながら撮影に望んでいただけたらと、書いてみました。
レンズの絞りとは?
絞りとは、被写体などから反射した光をフィルムに導く。いってしまえば、ただの穴です。その穴の大きさを変えることで、写真がシャープにハッキリと写ったり、フワッとした幻想的な写真に仕上がったりするんですよ。
カメラの絞りと言うけれど、絞り自体はレンズについていて、昔のレンズはピント調整と絞りの調整が出来るようになっていたのが、カメラの電子化がすすんで、カメラからレンズの絞りを調整出来るようになってきました。
絞りを自分で変えて撮ったことがない‼︎
なんて人はぜひ絞りを変えて写真を撮ってみてください。今までよりもシャキッとした写真が撮れると思います。
解放絞りで幻想的な写真に
絞りを開けて、解放絞りという状態で写真を撮ると、被写体を浮き上がらせて背景をボカした写真になります。
絞りをしっかりと絞って、f8.0以上の設定で撮影すると、コンパクトカメラとは一線を画す、非常に高解像度でシャープな写真を撮ることができます。
カメラを初めて使うと、まずはプログラムモードで撮って、慣れてくると開放絞りで、背景をボカした写真を量産します。その後絞りを覚えて、今度はシャープに取れないと、なんだか満足しなくなります。
そこからさらに上達すると、この撮影ではこれくらい、これを撮るならこれくらいと、自分で色々調整して、本当の意味での作品を創れるようになってきます。
絞りの構造
レンズに付いている絞り。どんな風に動いているのか理解できてますか?
レンズの絞りは、羽根のような形状をしていて、「絞り羽根」と呼ばれています。その羽根を調整することを、「絞りを調整」すると言うことです。
絞りを調整をすることで、カメラのセンサーが受け取る光の量を調整しています。だから絞るとf値が増えて光の量が減ることから、光を受けづらくなって暗い写真が撮れるのです。それを回避するためには、シャッタースピードを遅くするか、ISO感度を上げて撮影する必要性が出てきます。
絞りの歴史はピンホールカメラから
光を絞り込むことで、光の道を矯正してフィルムに景色を映しこむ。その仕組みの最も古い採用例が、小学校で実験したと思いますが、ピンホールカメラです。
ピンホールカメラの歴史
デジカメの絞りを語るには、ピンホールカメラの歴史から学んで行きましょう。
蓋をした箱の中は暗くなりますが、その箱に穴を開けて穴を通して光を取り込むことで、穴の反対側の壁に逆さまになった景色を写せる現象が、古代ギリシャの時代から知られていました。この現象がピンホールカメラの原理です。
その穴を通った光を受け取るのが、カメラには欠かせない感光体です。
CMOSセンサーが生まれるまで
カメラ・オブスクラの誕生からカメラという道具の第一歩がスタートしましたが、その後の感光体の発明によって、より鮮明に景色を画像として残すことが出来るようになってきます。
カメラ・オブスクラ(camera obscura)
ピンホールの暗箱が発明されて以降、16世紀中頃にはピンホールカメラの原理を利用して、壁に移した像を鏡で反射して、ガラス板ごしになぞって絵に書き残しました。その後、小さい穴だけだと、写しだした像がぼやけて見づらいことから、現代のカメラレンズの元になるレンズを取り付けた装置が開発されました。その暗箱レンズの発明と絞りの発明の元になったcamera obscuraの誕生です
感光体の開発
1825年に銀塩写真の起源と言われている、感光剤にアスファルトを使った撮影方法が発明され、アスファルト感光体で画像を残すのに要した時間はなんと8時間にもなったそうです。
その後あまりにも撮影時間が長いことから、なんとか短く出来ないかと開発された方法が、1826年ニエプスが銀でメッキした銅板にヨウ素を塗って感光体とし、景色を写すことができるようになると、その特許をフランス政府が買い取り、無償で公開したことから、一気に写真という概念が世界に広がりました。この銅板をダゲレオタイプという。ダゲレオタイプが発表されたのが、1839年でこの年が写真元年と言われています。
しかしダゲレオタイプの撮影では、銀盤が光を通さないので、感光体を塗った印画紙にむけて光を通す事ができません。光を通す感光体として最初に採用されたのが紙です。その紙の感光体を使って、ほかの感光体を塗った印画紙に転写出来るようにしたネガポジ法が開発され、カロタイプ(タルボットタイプ)として発表したのが1841年。
その後1851年に紙のフィルムより光を通す材料として、ガラスにコロジオン液と銀化合物を塗って感光体とし、その感光体の製造方法を写真湿板(コロジオン法)が確率されました。この頃には、感光に要する時間は5分~15分とダゲレオタイプの半分程度にまでなった上に、フィルムにあたる感光体の製造費もダゲレオタイプと比較にならないほど安価で、さらに発明者のアーチャーが特許を取得しなかたことから、写真機の感光体として最もポピュラーなものになりました。
1871年には写真乾板(フォトグラフィック プレート)といってガラスを使うことには変わりがないのですが、塗布する感光材料の新発明によって以前の写真湿板に比べて数倍の感度を持っていました。1878には工業生産され、感光感度も増してきて、いよいよ手持ち写真機(ハンドカメラの最初期)撮影が出来るようになってきました。
ロールフィルムの開発
1885年にフィルムメーカーのコダックが、世界で初めて紙のロールフィルムを開発し、エジソンとの協力でフィルムの基礎を作ります。この時規格化されたのが、現在でも一眼レフカメラの主流企画で35mm(135フォーマット)フィルムが誕生いました。
そして庶民の味方、写ルンですの原型とも言えるカメラが、1888年コダックから発売されました。このカメラは100枚撮影できるフィルムが内蔵されていて、撮影後はコダックに送ると、10ドルでプリントした写真と新しいフルムを装填したカメラが送り返されたそうです。この方式は、近代まで写真プリントサービスショップとして受け継がれているし、カメラにフルムが装填された状態(自分で交換できない)というのが、まさに大ヒット商品写ルンですの元ネタです。ちなみに当時の宣伝文句が『You press the button,we do the rest.』(ボタンを押したらコダックへ)というものでした。
翌年の1889年、コダックはセルロイドのフィルムを使った、近代まで盛んに使われていた35mmロールフィルムの元になる、世界初の写真フィルムの誕生です。その後、セルロイドが燃えやすいことから、アセチルロースを使った、不燃性のフィルムが誕生しました。
イメジ・センサーの歴史
イメージセンサーの開発が始まったのが1960年台後半のことです。フルムの元になった感光体が発明されてから、ゆうに140年も経過してからです。
イメージ・センサー誕生
ソリッドステート・イメージセンサーが開発されたのが1966年、翌1970年CCD(Charge Coupled Device)の発表が、ベル研究所によりアナウンスされました。翌1971年に同じベル研究所によりCCDイメージセンサー(FT-CCD方式)として発表されました。
CCDセンサーとMOSセンサーの実用化
当初CCDセンサー以外にもMOSセンサー、その他にもCIDやCPDといったセンサーも開発が進んでおり、実用化出来そうなのがCCDとMOSだったのです。転送時のノイズの問題から、なかなか製品化まで辿りつけませんでしたが、ノイズを抑制するために回路の改良や、インターレース(走査線読取方式)に対応した読取り方法、フォトダイオードの発明、カラーフィルタやオンチップマイクロレンズの開発により、CCDセンサー・MOSセンサーともに解像度を製品化出来るレベルまで引き上げました。
1981年にCMOSセンサーの元になったMOSセンサーのビデオカメラが製品化され、翌年の1982年にやっとCCDセンサーを使った製品の発表にこぎつけました。
2つのセンサーにはそれぞれ、MOS型がダイナミックレンジが広い反面、ノイズが多く感度が悪いという欠点があり、CCD型が感度が高く高画質だったため、一般的にはCCDセンサーが広く普及しました。
その後2000年台前半まではCCDの開発も活発に行われていましたが、1993年のAPSサイズのCMOSセンサーが発表されてからは、CMOSイメージセンサーに取って代わられるようになって、衰退の一途をたどるのでした。
APS-CMOSセンサーの元年
1993年が現代のデジタル一眼レフカメラのセンサーに脈々と受け継がれる、APSタイプのCMOSセンサーの発表があり、この年こそ本当の意味での、CMOSセンサー元年と言われています。
1993年の発表以降、とても多くのメーカーがCMOSセンサーの開発を行い、高画素化や高感度化、読み出し方式の開発を積極的におこない、発表当時とは比べ物にならない性能まで押し上げられてきました。
最後に
研究開発に携わってきた方たちには足を向けて練れません。今日我々がデジカメやデジイチとして、慣れ親しんでいるデジタル一眼レフカメラは、多くの研究者たちによって支えられているのです。
この場を借りて感謝を表しておきます。『ありがとうございます』
以前にカメラと人間の目について書いていますので、興味があったら読んでみてください。